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退院まで | As is

退院まで

病院に着いた安心感と、これまでの疲れがどっと押し寄せ、入院初日は細切れだけれど少し眠ることができました。

次の日、とりあえず自分は生きているらしいことに安心して目を覚ましたのを覚えています。
相変わらず目眩は治ってはいませんでしたが、横になっていれば気持ち悪さは我慢できるくらいにはなっていました。
お腹は空いたような気がするけれど、ご飯を食べようと起き上がると気持ち悪くなってしまい、何かを食べる気が湧きませんでした。看護師さんに促されて、頑張って食べようと思って食べ物を口に入れても、舌がピリピリと痺れるような感覚があって、全く味がしなくなっていました。
食べることが大好きだった私は、そのことにもショックを受けていました。
何の楽しみもない。気持ち悪くて携帯も見ていられないし、本なんて読めたもんじゃない。そして、運の悪いことにコロナウイルスの影響で面会も禁止になっていたため誰にも会えない。ただ、恐怖と悲しみにのまれることしかできませんでした。

病室が移り携帯が使えるようになって、彼と連絡が取れるようになりました。目眩がしながらも、一生懸命メッセージを送りました。このまま何もしていなかったら、本当に頭がおかしくなりそうでした。けれど、自分の病気かもしれない「多発性硬化症」については怖くて調べることをしませんでした。

多発性硬化症はすぐの診断ができないらしく、体のあらゆるところを検査してもらいました。
目眩で歩けなくなっている私は、車椅子に乗せてもらって移動をしていましたが、起き上がっていることのハードルが既に高すぎて、気持ち悪さと必死に戦いながら、冷や汗をかきながらの検査でした。
トイレも、看護師さんを呼んで車椅子に座らせてもらって連れて行ってもらわないと行けませんでした。行くたびに冷や汗が止まらないほどの気持ち悪さに耐えて、ただトイレに行っただけなのに毎回ぐったりしていました。トイレさえも自分1人で行けない、自分のことが何もできなくなっていて虚しくなりました。

入院してから3日目には、ステロイド点滴を3日間続けて行うステロイドパルス療法が始まりました。
その頃には、舌だけでなく顔の左側全体まで痺れが広がっていました。
先生からの話で、多発性硬化症はどうやら難病らしいということが分かりました。当時知識のない私にとって、難病=治らない=死 としか考えられずいざとなると死ぬのが本当に怖くて、毎晩消灯後のベッドで泣いていました。
ステロイドパルスが1クール終わる頃には、目眩と吐き気はだいぶ和らぎ、ご飯も少しは食べられるようになっていました。トイレに行くくらいなら、何かに捕まりながらであれば歩けるようになりました。
治療の影響で、眠れなくなり、睡眠薬を飲んで寝るようになっていました。それくらいになっても、自分の病気については調べませんでした。怖かったから見ないようにしていました。
ステロイドパルスの2クール目もすることになり、それまでほぼ寝たきりの状態だったのでリハビリと並行しながら治療が進みました。ご飯も味が分かるようになってきて、だいぶ食べられるようになってきました。体重がかなり減っていたのでお菓子でも何でもいいからたくさん食べてと先生に言われて、親に好きなお菓子を持ってきて貰いました。でも、そのお菓子を食べても味が前より感じられず悲しくなるだけだったのを覚えています。
2クール目が終わる頃、左手にまで少しですが痺れが出るようになりました。MRIを取ると、新しい影が増えていて、そこで私の病気は「多発性硬化症」だと診断されました。
そこで初めて私は先生からこの病気について、詳しく教えて貰いました。この病気は難病であり、治らないこと。死には至らないらしいこと。再発と寛解を繰り返し、その中で後遺症が残っていく可能性はあること。再発もその時の症状も本当に人それぞれで、軽い人もいること。この病気になったからといってやってはいけないことは無く、普通の人と同じように過ごせること。これからは、再発させないための治療をしていくことになり、私は注射を1週間に1回自分ですることになるだろうということ。

その話を聞いてから、初めて自分自身で病気について調べました。同じ病気の方のブログだったり、当時のTwitterもたくさん読みました。身体の症状と戦いながら、頑張って生きている方がたくさんいました。子供も妊娠出産して、家庭を築いている方もいました。後遺症と共に生きている方もいました。みんなとても大変そうに、苦しそうに感じました。
とりあえず死にはしないということが分かったものの、気持ちは全く晴れませんでした。とんでもない病気になってしまったなということ。と同時に、本当に自分に起こっていることなのか信じられていない、外から他人事のように見ている自分もいました。突然のことに、受け入れられなかったのだと思います。
そして、まだ21歳なのにこの病気を抱えてこれからも生きていかなければ行けないことに絶望しました。それはとても大変で、難しいことのように思えました。
でもこの病気と一緒に生きていかなければいけない。
当時大学3年生だったので、就職活動真っ只中。早く退院しなきゃという焦りもありました。とにかく早く治して退院して、どうにかしなくちゃいけないと思いました。

結局、3クール目までステロイド点滴は続きました。その頃には、ほとんどの症状は改善されており、少しの痺れが残っているだけでした。もう何も捕まらないで歩くことができるようになっていました。
入院してから約3週間で私は退院しました。
やっと病院を退院できたのは嬉しかったし、お家のご飯を食べられるのは嬉しかったです。でも、心は全然前向きではありませんでした。まるで自分の人生が変わってしまったように思えました。
でもとにかく、みんなから遅れないように就職活動をしなきゃいけない、早くしなきゃいけない。それだけを考えていました。

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今回はここまで。読んでくださりありがとうございました。

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