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私の病気 | As is

私の病気

突然ですが、私には「多発性硬化症」という持病があります。
この病気は国の指定難病に分類され、原因や完治する治療法が分かっていない病気です。
多発性硬化症について簡単に説明すると、本来外敵から守るための免疫系に異常が起こり、自分の体を攻撃してしまう病気です。
この病気を発症してから、私の人生は大きく変わりました。病気にならなければ感じることのなかったであろう感情をたくさん経験しました。
そして、この場所を作ってみようと思ったのはこの病気が大きなきっかけです。
同じ病気を抱えている方も、そうでない方も、私の経験がきっと誰かの役に立つのではないかと考えここで発信することにしました。
まずは発症した日から順を追ってお話しさせてください。

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忘れもしない、2020年3月27日金曜日。
通っていた皮膚科で診察を待っている時に、無視できないくらい強い頭痛が急に起こりました。
特に頭痛持ちでも無かったし、なんでだろうと思いながら診察を受け、処方されたお薬を薬局で待っていた時、頭痛がちょっと治ってきたなと思っていたら、今度は吐き気がしてきました。
そして、なんとかお薬を受け取った後、我慢できなくなりトイレに駆け込んで嘔吐しました。
一回嘔吐してからも吐き気は全く治らず、気持ち悪くて自分で動くこともできず、その場所にお母さんを呼んでタクシーで家に帰りました。(こんな時に限ってめちゃくちゃ運転が荒く、「勘弁してくれ〜」と心の中で思いながら必死に吐かないように耐えていたのを覚えています笑)
そして、家に帰ってからもまた嘔吐。
気持ち悪すぎて立っていられなくてベッドに横になりました。そうしたら今度は目眩がしてきました。
横になっているのに、目を開けていると目眩が止まらなくて、目の前が歪むくらいずっとぐるぐるしていて、それに気持ち悪くなり何回も嘔吐を繰り返しました。目を閉じれば目眩はいくらかマシになりましたが、ずっと目の奥がぐるぐるしているような感覚が無くならず、吐き気も止まりませんでした。その頃ちょうどコロナウイルスが流行り始めた時で、もしかしたら運悪く感染してしまったのかもしれないとか、もっと大変な病気なのかもしれないとか悪い考えばかりが浮かびました。
当然、何も食べられるわけも、眠れるわけもなく次の日を迎えました。

2020年3月28日土曜日
流石に何かおかしいとなり、親が病院に連れて行ってくれることになりました。
でも、目眩のせいかもう自分では立てなくなっていました。お父さんにほぼ縋り付くような形で車に乗り、病院でひとまず点滴をしてもらいました。吐き気も少しはマシになり、このまま良くなるかなと期待していました。
そうするとその病院の先生から、目眩は怖いから念のため脳神経内科で診てもらった方が良いとお話しをいただき、その足で近くの脳神経内科に向かいました。
目眩は相変わらず全く収まらないまま、永遠に思えるような時間を耐えるようにして待ち、やっとの思いでMRIを撮ってもらいました。撮り終わり、ベッドに横にならせてもらっていたところ、両親だけが先生に呼ばれました。その時、よくドラマにある余命宣告されるやつだ、やばい私死ぬんだと思いました。(こんな時なのに冷静にそんなことを思っている自分もいました笑)
案の定悪い予感は当たり、親が帰ってくるとこのまま近くの大きな病院に入院することになったと言われました。
入院する病院に向かう車の中でもう座ることもできず横になりながら、怖くて怖くて仕方がなかったです。当時お付き合いしていた彼に、大事だと悟られないよう、心配させないようにいつも通りの感じで、入院することになった旨の連絡をなんとかし(その思いが無駄なくらい既に大事なのですが笑)、病院に着きました。
車の外に出ると、もう3月も終わりで桜も咲いているというのに、雪が降っていました。
そのことにも、怖くなりました。
本当に演出かのような、本当に死ぬことを予感させられているような気持ちになりました。
診察のためにベッドに横たわると、自分が相当疲れていることを感じました。先生と何を話したのかあまり覚えていないのですが、MRIの画像を見て先生は「多発性硬化症」の疑いがあることを話してくれました。それだけ覚えていました。その時、その先生に告げられた病名を私は聞いたこともなく、どんな病気か全く検討もつきませんでした。只事ではないということだけは分かりました。
疲れて意識も朦朧としている中、色々体に刺されて血液と髄液を何本か取られ、もう痛みも感じず、記憶が途切れ気づいたら病室に着いていました。もうその頃には夜で、隣にはたくさんの管と電子機器に繋がれたおじいちゃんが横になっていました。看護師さんが私の準備を色々してくれている中、この病室では携帯は使ってはいけないことを告げられました。このまま私は、この病室で1人で死ぬのかもしれないと思った時、彼に連絡しなくてはいけないと思いました。「大好きだよ」それだけは言いたかったのです。そして携帯の電源を切りました。
たった1日でここまで状況が変わってしまったことに、私自身が全くついていけませんでした。

ひとまず、入院までの経緯をお話しさせていただきました。
続きは次回に… ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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